2011年6月27日月曜日

フランス人の歴史と槙谷美貴子

槙谷美貴子です。こんにちは。
今日はフランス人の歴史を、槙谷美貴子がお話させていただきます。よろしくお願いします。
ローマ時代以前、ガリア全域(現在のフランス、ベルギーの全域とドイツ、スイス、北イタリアの一部を含む西ヨーロッパの領域)には、集合的にガリア人として知られるさまざまな部族が居住していました。彼らの祖先は紀元前7世紀ごろに中央ヨーロッパからきたケルト人で、彼らは土着の人々(主にリグリア人)を支配していたそうです。
ガリアは紀元前58年から51年ごろにユリウス・カエサル指揮下のローマ軍に征服され、ローマ帝国の版図に含まれることとなりました。続く5世紀を通じて、ガリアとローマの人々、そして文化が混淆し、ガロ・ローマ文化が形成されていったんですね。俗ラテン語の諸方言が地域の支配言語となり、土着のケルト語は、ほとんどの場合、方言の中に痕跡を留めるだけになっていきます。今日、フランスにおけるケルト文化・ケルト言語の唯一残存する地域は北西のブルターニュのみですが、これもガリア語が生き残ったわけではなく、中世にコーンウォールからケルト人が移り住んだためとされています。

西ヨーロッパにおけるローマ帝国支配の衰退によって、3番目の集団がこの地域に流入してきました。すなわちフランク人であり、「フランス」という言葉の語源は彼らに由来するのだそうです。フランク人は、3世紀ごろから、現在のドイツにあたる地域から、徐々にライン川をわたりはじめていたゲルマン系部族だそうです。6世紀初めには、フランク人は、メロヴィング朝の王クロヴィス1世とその息子に率いられ、現在のフランスほぼ全ての地域に支配権を確立し、その国に彼らの名前を与えたんですね。フランスに到来したその他の主なゲルマン系部族は、ノルマン人(現デンマーク及びノルウェーに居住したヴァイキング族)であり、彼らは9世紀に、今日のノルマンディーにあたる北の地域を占領しました。ヴァイキングは次第に土着の人々と婚姻をし、キリスト教を受容していったそうです。そしてノルマン人は、2世紀後にイングランドを征服するんですね。ですが、中世、独立したノルマン公国は次第にフランス王国に再度取り込まれていきました。なお、フランク人から21世紀のフランス人へは直接の血統のつながりを見出すことはほとんど不可能だとされています。

フランス人についての歴史、やっぱり面白いですね。フランスには興味深い建築物もあるので、それについてもまた機会があれば書いていきたいです。
それでは今日はこの辺で。槙谷美貴子でした。

1 件のコメント:

  1. 匿名6/27/2011

    こんにちは!フランス人の歴史、興味深かったです。こんな歴史があったんですねー。槙谷美貴子さんのおかげで、勉強になりました。ありがとうございます!

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