2011年6月16日木曜日

二条城と槙谷美貴子

こんにちは。槙谷美貴子です。
今回槙谷美貴子がお送りする歴史に関するお話は、お城!
京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある江戸時代の城、二条城についてです。
徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもありますね。京都市街の中にある平城で、後述する足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏によるものがありますが、現在見られるものは、徳川氏によるものとなっております。
城全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿にある計954点の障壁画が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されています。さらに1994年(平成6年)にはユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」として登録されているんですよね。

外部との出入り口としての城門は東西南北に1つずつ。正門は堀川通に面した東大手門ですね。南門は1915年(大正4年)に新たに造られたもので、この南門と西門は外堀を渡る橋が撤去されており使用されていないのだとか。また、北大手門も普段は閉鎖されているみたいですね。この他に、城内には5つの城門があります。二の丸を東西に分ける北中仕切門と南中仕切門、二の丸と本丸を結ぶ通路への入り口となる鳴子門と桃山門、その通路から内堀を渡った本丸への入り口となる櫓門ですね。
二の丸の中心的建造物である二の丸御殿は、東大手門から見て正面の右斜め前方向に建ちます。御殿は築地塀で囲まれていて、唐門は塀の南側。それをくぐると正面に二の丸御殿の玄関にあたる「車寄」(くるまよせ)が見えるのだとか。二の丸御殿は手前から順に「遠侍」(とおざむらい)、「式台」(しきだい)、「大広間」、「蘇鉄の間」、「黒書院」(くろしょいん)、「白書院」(しろしょいん)と呼ばれる6つの建物が雁行に並び、廊下で接続され一体となっているようです。大広間の西側、黒書院の南側に日本庭園があるみたいですよ。遠侍の北側、白書院の東側には「台所」と配膳をするための「御清所」と呼ばれる建物があるのだとか。
本丸の御殿は御所の北にあった旧桂宮邸を1893年(明治26年)から1894年(明治27年)にかけて移築したもので、過去には春と秋に期間限定で公開されていましたが、耐震性の不足が判明したため2007年(平成19年)春を最後に公開を中止して以降、内部は公開されていません。もともとあった京都御苑内の敷地には、築地塀と表門と勅使門、また庭園や池も現存しているようです。

内部、見たかったのに残念ですね。
また公開されることがあったら、絶対突撃していきたいと思います(笑)
それでは今日はこの辺で。槙谷美貴子でした。

1 件のコメント:

  1. 匿名6/16/2011

    槙谷美貴子さんの記事を読んで二条城に興味を持ったんですが、今は室内の公開はしてないんですね。残念です。また公開されるようになったら、私も行ってみたいと思います^^

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