2011年6月23日木曜日

異人館についてと槙谷美貴子

こんにちは。槙谷美貴子です。
今日、槙谷美貴子は、異人館についてお話したいと思います。
異人館とは幕末・明治時代以降(主として明治時代)の日本において、主に欧米人が住宅として建設した西洋館ですね。
従来の日本家屋とは異なる西洋式の住宅に異邦人(異人)が住んだことによるのだそうです。日本人が住んでいた西洋館も(誤って)異人館と呼ばれることがあるのだとか。開国から明治前期まで、外国人の住まいは原則として居留地に限られていたようです。条約改正との関連で明治32年(1899年)以降、内地雑居が認められ、旧居留地以外の高台などにも建設されるようになったみたいですね。群として多く残っているのは神戸、長崎。横浜、函館では異人館という呼び方は一般的でないとされているみたいです。

日本の各地にある異人館についても調べてみました。
兵庫県神戸市の北野町山本通には外国人の住宅が多数残っていて、1977年放送のNHK連続テレビ小説『風見鶏』などで北野異人館街として広く知られるようになり、その一部が公開され観光名所にもなっていますね。1980年、北野町山本通は種別「港町」として最初に重要伝統的建造物群保存地区に選定されているみたいです。1995年に発生した阪神・淡路大震災により異人館の約3割が失われたが、40棟余りが現存し、保存措置が講じられているみたいですよ。
また、神戸市西部のJR塩屋駅の山手、ジェームス山と呼ばれるエリアにも異人館が約50棟現存しているのだとか。こちらは昭和初期にイギリス人貿易商アーネスト・ウィリアム・ジェームスにより外国人用住居・別荘として建てられたものが主とされています。現在も多くの外国人が居住しており、観光地化はされていないのだとか。
長崎県長崎市にもグラバー邸をはじめ著名な異人館が残っていますよね。特に東山手・南山手地区は重要伝統的建造物群保存地区に選定されているようです。このほか九州では鹿児島市などにも異人館は残っているのだとか。
神奈川県横浜市は関東大震災で大きな被害を受け、震災以前の建物はほとんど残っていないようです。現在観光コースになっている山手本通り沿いは数棟の西洋館があるそうなんですが、山下公園前の外国商館であった旧イギリス7番館(1922年)を除いて、関東大震災以降に建築されたものか、他所から移築されたものみたいですね。
北海道函館市では1907年(明治40年)の大火があり、大火後に建設された外国関係のものはイギリス・ロシアの領事館程度だそうです。

折角なので、これのどこかには行ってみたいですね。
それでは今日はこの辺で。槙谷美貴子でした。

1 件のコメント:

  1. 匿名6/23/2011

    異人館について、面白いですねー。槙谷美貴子さんのはられた動画の異人館を見ていると、私も行きたくなりました*^^*

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