2011年6月22日水曜日

槙谷美貴子と擬洋風建築

こんにちはー。槙谷美貴子です。
今日も歴史について、色々と調べてみました!なので、今回槙谷美貴子は、擬洋風建築について、お話させていただきますね。
擬洋風建築とは、明治時代初期に西洋の建築を日本の職人が見よう見まねで建てたものです。
伝統的な技法をベースにしながら、西欧に由来するデザインを消化・吸収した独自の造形であり、日本の近代化をよく物語る存在と言えます。重要文化財または地方自治体の有形文化財に指定、あるいは登録有形文化財に登録されているものも多いのだそうです。

幕末の開港以降、外国人居留地には彼等が本国の建築様式を持ち込んだ建造物が続々と建てられました。やがて居留地の建築に刺激を受けた大工の棟梁が、見よう見まねで洋風デザインの要素を取り入れた建物を建てるようになったんですね。これが擬洋風建築で、文明開化の象徴ともされているようです。
初期の代表的なものとして、二代目清水喜助(清水建設の実質的創始者)による築地ホテル館(現存しない)がありますね。これは幕府の要請を受けて築地居留地の外国人旅館として建設が始まり、明治維新後に完成したそうです。築地ホテル館や維新後間もなく建てられた第一国立銀行(明治6年)は当時の錦絵にも多く描かれ、評判を呼んだみたいですね。
地方においても、「第2の文明開化」というべき時流・風潮があり、県令(現在の都道府県知事に警察・検察・教育長等の権限を統合したような治権首長)の希望・命令、あるいは篤志家の出資などに基づき、役所、学校、病院などに洋風デザインが採用されることがあったそうです。これらの擬洋風建築は近代化の象徴として、地元民の誇りともなり、本来の役割を終えた後も、民俗資料館等として保存・活用されていることがあるのだとか。

また、現存する擬洋風建築の中でも有名なものには旧開智学校(長野県松本市)があるようです。私は実物を見たことはないんですが、左右対称の外観で中央に塔屋を造り、正面入口の上には、竜や天使の彫刻が舞っているという、和洋折衷の何とも不思議なデザインなのだとか。これを建てた地元の棟梁・立石清重は、東京や横浜に出かけて洋風建築を見て学び、自分なりに消化して奔放な造形を行ったそうですね。

擬洋風建築、是非間近で見てみたいものです。
それでは今日はこの辺で。槙谷美貴子でした。

1 件のコメント:

  1. 匿名6/22/2011

    擬洋風建築、面白いですね!私も実物見たくなりましたー♪♪
    槙谷美貴子さん、もし見られたら、写真お願いします笑

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