2011年6月21日火曜日

江戸時代についてと槙谷美貴子

こんにちは!槙谷美貴子です。
今日、槙谷美貴子は、江戸時代についてお話させていただきますね。
江戸時代は日本の歴史において、徳川将軍家によって日本が統治されていた時代です。徳川時代とも言いますね。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府あるいは徳川幕府と呼びます。
具体的には、1603年3月24日(慶長8年2月12日)に徳川家康が征夷大将軍に任命されて江戸(現在の東京)に幕府を樹立してから、1868年5月3日(慶応4年/明治元年4月11日)に江戸城が明治政府軍の手に落ちるまでの、265年間を江戸時代と呼びますね。
始期については、関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利した1600年10月21日(慶長5年9月15日)を始まりとする見方もあるそうです。また、終期については、徳川慶喜が大政奉還を明治天皇に上奏した1867年11月9日(慶応3年10月14日)とする見方や、王政復古の大号令によって明治政府樹立を宣言した1868年1月3日(慶応3年12月9日)とする見方も存在するのだとか。

藩政時代(はんせいじだい)という別称もありますが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多いそうです。
江戸時代には、戦乱が静まり社会が安定し平和になったことと経済活動が活発になったことにより、人々の言論活動も活発になり、多様な学問が開花しました。また経済の発展による庶民の台頭は、学問の担い手を生むこととなったのだとか。江戸時代の学問の特徴としては、研究者個人の直感的、連想的な思考を軸とする中世的な発想で研究を進めるのではなく、文献などに基づき実証的に研究するという態度が現れたことが挙げられるそうです。また一部には身分制度を否定したりする思想が現れた。このように、中世を離れ近代に近い時期として、江戸時代は歴史の上で近世と定義されているみたいですね。

江戸時代中期になると、藩政改革の一環としての藩校開学が各地で行われるようになります。基本的には藩士の子弟に朱子学や剣術を奨励・徹底するものですが、一部には医術や西洋技術を講義し、さらに庶民までも受講対象となるところもあったのだとか。庶民レベルでは、僧侶ら知識階級が庶民らの子供を集めて基本的な読み書きを教えたそうです。この寺子屋が増えていったことで日本の識字率が高まっていき、幕末から明治にかけての近代化を支える原動力となったみたいですね。また、京都や大坂などの大きな町では江戸時代初期から伊藤仁斎が古義堂を開くなど、私塾を構えるところもあったみたいなんですが、江戸中期くらいから郷村で村塾といわれる私塾が出てきたそうです。

江戸時代、長く続いただけあって調べることが多く楽しいです(笑)
それでは今日はこの辺で。槙谷美貴子でした。

1 件のコメント:

  1. 匿名6/21/2011

    江戸時代は、いっぱい、見るべきことがありますからね。槙谷美貴子さんの歴史ブログ、これからも来させていただきます!更新頑張ってください!

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