2012年3月14日水曜日

ハリウッドがカリフォルニアで始まった歴史

こんにちは、槙谷美貴子です。
槙谷美貴子の歴史好きのブログ
歴史のニュースをGoogoleで見ていると、ブラッド・ピットが歴史好きで、
10歳になる息子さんに歴史に興味を持ってもらえるように奮闘中だそうです。
既に自分用の武器や防具などの歴史的な衣装を一通り買いそろて、これから6人の子供全員に歴史を教える計画なんだそうです。トロイにも出演したブラッド・ピットの歴史教育、槙谷美貴子も拝見してみたいです

今回は、ハリウッドの歴史について槙谷美貴子が調べました。

1903年、当時農村だったハリウッドは市制を施行しましたが、1910年にロサンゼルス市と合併しました。20世紀のはじめのこの頃、映画の中心地はニューヨーク(ニュージャージー州フォート・リー)とシカゴであったそうです。

特許をめぐる争いが発端となり、当時の大手映画製作者や映画関連機器製造業者、製造業者ら9社はそれぞれの特許を持ち寄って管理するモーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー (w:en:Motion Picture Patents Company)を1908年に設立したそうです。これに参加しない映画関連業者にはカンパニーから高額の特許料が請求されました。参加が認められなかった中小の制作者らは一斉にこれに反発しました。特許料を払わずに買えるヨーロッパ製の機器やフィルムを使って撮影を続行したそうです。

カンパニー側は探偵を雇って違反者を片端から摘発したため、独立系の制作者はカンパニーの目のとどかぬ土地に出かけて映画を制作しました。中でもロサンゼルス一帯は気候もよく、映画の撮影には理想的で、クリエイターが集まり始めました。また、この地はメキシコに近く、カンパニー側の追っ手がやってくることを察知して国境を越えて逃げることができました。なお、カンパニーは1912年に反トラスト法違反であると指摘され、1915年には連邦裁判所で反トラスト法違反であるとされたそうです。カンパニーは1917年には消滅し、これに前後してカンパニー参加業者らも次々にハリウッドに拠点を移したそうです。

当時アメリカ経済の中心だった東海岸は天候が悪かったそうです。当時の映画は、フィルム感度の問題から屋外のような明るい場所でしか撮影できませんでした。電球などの照明はありましたが、映画撮影を行うには十分な明るさを確保できませんでした。そのため映画会社は、日が長く、地中海性気候のため夏にまばゆい太陽が輝くカリフォルニア州に次々に移っていきました。また、まだ民族差別の激しかった時代の出演者やクリエイター達は、出自を偽ることが多かったそうです。当時はまだ東海岸を中心にワスプがアメリカの支配層であり、イタリア系やユダヤ系などの真の出自を表に出してはスターにはなれなかったからであるそうです。

最初のハリウッドの映画スタジオは、1911年にネストール社が建てたものである。同じ年に、さらに15のスタジオが建てられました。

最初から、カリフォルニアにあったのでは無かったんですね。
調べると意外なことがわかりました。

以上、槙谷美貴子でした!

1 件のコメント:

  1. 匿名3/14/2012

    槙谷美貴子さん
    こんにちは^^
    ブラッドピットさんは
    そこまで歴史好きだったんですね~
    ハリウッドは意外でした。

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