2011年10月25日火曜日

現代社会に欠かせない携帯電話

槙谷美貴子です。
皆様、こんにちは。

今日は、現代社会には欠かせない誰しもが持っている「携帯電話」の歴史を
調べてみました。

第二次世界大戦中にアメリカ軍が使用したモトローラ製の「Walkie Talkie」が、前身といわれる。しかしこれは、回線を使用していないトランシーバーである。

携帯電話の構想は、電話機が考案されて間もない頃からあった。電波を使用して無線で通信でき、かつ人間同士が音声にて会話することが夢として描かれていた。
モールス符号を用いる無線電信機は携帯電話の元になる技術だが、実用化されても爆発的に普及するようになるものだとはこの時点では考えられていなかった。

また、携帯できる電話を開発する具体的な研究は古くから行われてきたが、電波のノイズの問題やバッテリーの問題、また通信速度などの多くの問題により電話機が非常に大型になってしまうため、実現は難しかった。

1960年代になると、両手で持ちながら会話できる程度まで小さくすることが可能となった。しかし、短時間の通話でも疲れてしまうほどに重かった。
1970年代になると頑張れば片手で持てる程度の大きさまで縮小することができた。これは1970年に大阪で開催された日本万国博覧会にワイヤレスホンとして出展された。
これは、今で言うコードレスフォンである。1980年代になると事業として成立するようになり、一部の先進国で車載電話機(自動車電話)として携帯電話機の販売、及びサービスが開始された。この頃は固定電話機と比較すると導入価格、通信費用は共に数十倍であり、また通信エリアも都市部に限られていたため、よほどの理由が無ければ導入できなかった。1978年、“AT&T”と「モトローラ」に実用化実験許可がおりる。1979年、日本において世界で初めて実用化される。
1981年、バーレーンとスカンディナヴィアで実用化。遅れをとったアメリカもレーガン大統領へのモトローラからの直訴により1981年、実用化がなされた。

1990年代になると普及が進み、本体に液晶ディスプレイが搭載され始めた。1990年代半ばには通信方式がアナログからデジタルへと移行し、着信音に好みの音楽が設定できる着信メロディや、ポケットベルと連帯したメッセージサービスが使用できるようになった。
1990年代後半にはインターネット網への接続が可能となり、通信速度が向上し、画像やJavaを使用したゲームなどの利用が可能となった。

2000年代に入ると第三世代携帯電話が登場し、テレビ電話が可能となったほか、パソコンと接続して高速なデータ通信が行えるようになった。
また発展途上国でも爆発的に普及し始め、英調査会社、“Informa Telecoms & Media”の2007年11月29日(英国時間)の発表によれば、世界全体での普及率が5割に達した。

槙谷美貴子が使用している携帯はiphoneなのですが、昔は携帯電話が作られることさえ想像できなかったのに、今となってはこんな便利な機能がついた携帯電話が作られていますもんね。
iphoneは、色々と便利な機能がありすぎて、プライベートがないなぁと思う時が時たまありますが(笑)まぁこれからどんな携帯電話が作られていくのか楽しみですね。

槙谷美貴子

2011年10月17日月曜日

槙谷美貴子と掃除機の歴史

槙谷美貴子です、こんにちは。今回槙谷美貴子が調べてきたのは、掃除機の歴史についてです。よろしくお願いします。
世界最初の真空掃除機は、1868年にシカゴのアイヴス・マガフィー(Ives W. McGaffey)によって発明されたみたいですね。原理は、手でレバーを引いて真空を作り出し、ノズルからゴミを吸い取って容器に溜めるという簡単なものだったそうです。彼は1869年6月8日にこの特許を取得し、ボストンにあるカーペット清掃会社に売り込むことに成功したのだとか。こうして誕生した世界最初の真空掃除機がシカゴとボストンで発売されたんですが、当時としては$25もする高価なものであり、ノズルをゴミに当てながらいちいち手でレバーを引くのが面倒という欠点のため、やがて市場から姿を消していったのだそうです。
1876年、ミシガン州グランドラピッズのメルヴィル・ビッセルは妻のためにじゅうたんの上のおが屑を掃除するための掃除機を作りました。間もなく、Bissell Carpet Sweepers として製品化。メルヴィルが1889年に亡くなると、妻のアンナが社長となり、当時最も強いビジネスウーマンと呼ばれるようになったのだそうです。1899年には電動機駆動の掃除機をジョン・サーマンが発明します。Bissell社は今も掃除機を含む掃除用品のメーカーとして存続しているそうですね。
最初の電気式真空掃除機は、1901年にイギリスのヒューバート・セシル・ブース(Hubert Cecil Booth)が発明したもので、布フィルターを備えていたのだそうです。彼は列車の座席から塵を吹き飛ばす装置のデモンストレーションを目にし、塵を吸い取った方がずっと役立つと考えたんですね。そのアイデアを試すため、彼はレストランの椅子の上にハンカチを広げ、それを自分の口で吸いつけ、さらに塵を吸い付けてみたのだとか。塵がハンカチの下面に集まったのを見て、彼はそのアイデアがうまくいくと確信したのだそうです。ブースは Puffing Billy と名付けた大きな装置を作ります。石油を使った内燃機関を動力源としていたが、後に電動機を使うようになったそうですね。掃除すべき建物の前まで馬で引いていたみたいです。
そうやって電気式真空掃除機が様々な改良を加えられて、今私たちのよく知る掃除機になったんですね。
それでは今日はこの辺で。失礼します。槙谷美貴子でした。

2011年10月6日木曜日

たばこの歴史と槙谷美貴子

槙谷美貴子です。こんにちは。「槙谷美貴子の歴史好きのブログ」、今日も始めさせていただきます。
今回はたばこの歴史についてです。
タバコはナス科タバコ属 (Nicotiana) の一年草で、大規模に栽培されるものは N. tabacum と N. rustica の2種に限られているのだそうです。N. tabacum はニコチン含有量が高いため、商業的に価値があるのはこちらなのだとか。もう一方のN. rustica は寒さに強いとされています。この2種の他にもこれまでに全部で66種が確認されておりまして、そのうち45種が南北アメリカ大陸とその周辺部に生育していたのだそう。そのことから、タバコ属植物誕生の地はアメリカなのではと考えられているようです。
1492年、“黄金の国”を目指したコロンブスが、新大陸(=古代アメリカ大陸)のカリブ海沖にある諸島=西インド諸島の1つであるグアハニ島に上陸し、先住民のアラワク族に友好のしるしとして鏡とガラス玉を贈りました。それに対しアラワク族は珍しい食物や果物などと一緒に香り高い乾燥した葉=「たばこ」の葉を贈ったことが、ヨーロッパの人間が「たばこ」に接した最初の瞬間といわれているのだそうです。アラワク族がたばこを喫煙しているところを発見したのも、このときだったのだとか。
そこから、ヨーロッパに広まり後に全世界に広まったのだそうです。
たばこの歴史、調べてみると面白いですね。
広まった経緯なども色々あるみたいですから、また機会があればより詳しく調べてみたいと思います。
それでは!槙谷美貴子でした。