こんにちは槙谷美貴子です。
「槙谷美貴子の歴史好きのブログ 」では
槙谷美貴子が気になった歴史のことなどを調べて
お話するブログです。
伝書鳩の歴史は非常に古く、紀元前約5000年のシュメールの粘土板にも使用をうかがわせる記述があるという。確実な記録では、紀元前約3000年のエジプトで、漁船が漁況を知らせるために利用していたらしい。このころのエジプトでは、様々な鳥で通信することが試みられたが、人によく馴れて飼いやすく、飛翔能力、帰巣本能に優れるカワラバト(ドバト)が選ばれ、定着したようだ。ただ、この当時ハトは主に食用として飼育されており、伝書鳩としてはあまり広く使われていなかった。また、ギリシャのポリス間の通信に使われた。特に各ポリス代表が参加して行われた競技会の覇者は、鳩の足に赤いリボンを結び付け、故郷への勝利と栄誉の便りとした。ローマ帝国で通信手段として広く使われ、各地に広まった。
ローマ帝国以降は主に軍事用の通信手段として広く使われ、産業革命期以降に最盛期を迎えた。第二次世界大戦時のイギリス軍は約50万羽の軍用鳩を飼っていたという。第二次大戦中は伝書鳩が広く使われたため、ドイツ軍は対抗手段として、タカを使って伝書鳩を襲わせた。また、近代になって報道機関が発達すると、通信用に使われた。例えば、1850年のロイターの創業時は伝書鳩が主な通信手段だった。この当時、最速の通信手段は伝書鳩だったのである。
日本には、カワラバトは飛鳥時代に渡来していたものの、伝書鳩として利用されるのは江戸時代になってからである。この伝書鳩は輸入されたもので、京阪神地方で商業用の連絡に使われていた。1783年に大阪の相場師・相屋又八が堂島の米相場の情報を伝えるために伝書鳩を使ったのを咎められ、幕府に処罰された。明治時代に入ると、軍事用として伝書鳩が本格的に様々な系統の品種が輸入され、飼育されていった。有名な系統に南部伯爵が導入した南部系などが現存している。それと同じくして、民間でも報道用・趣味として飼育することが増えていった。新聞各社が集まる東京の有楽町には、屋上に鳩小屋が作られるほどだった。第二次世界大戦に入ると、食糧難・軍用に献納されるなどで民間の飼育者は一時的に減ったが、戦後になると飼鳩は若年層の間でブームとなり、1964年の東京オリンピックの開会式での放鳩行事の影響もあり、1969年ピークに達した。この年の年間脚環登録羽数は400万羽弱に達した。その後、漫画「レース鳩0777(アラシ)」等の影響で一時的なブームがあったものの、漸減傾向にある。また、1970年代を境に、鳩レースの平均帰還率は明らかな低下傾向を辿り、数千羽規模の登録レースでも、最終レースを待たず全滅することが各地で頻発している。それは日本に特有の現象で、原因の探求がされているものの、はっきりしたことはわかっていない。主に猛禽類の大増殖説・携帯電話の電磁波影響説(1990年代後半からいわれるようになってきた)・育種上外来種偏重かつスピード重視の改良が横行した結果の3つが言われている。また、新型インフルエンザ発生地域のレース自粛等、新しい問題も起きており、日本の飼鳩環境はますます厳しくなっている。
1983年、英国で少女が誘拐され、犯人が身代金の受け渡しにダイヤモンドを伝書鳩に付けて飛ばすように指定した事件が発生した。しかし、この伝書鳩は王立伝書鳩協会の脚環を装着したままだったため、標識から身元が割れた犯人は逮捕され、人質の少女は無事保護されたそうです。
この事件で犯人逮捕の有力な手がかりとなった伝書鳩は、その功績を認められ、同協会が引き取り、末永く幸せな生涯を全うしたそうです。
鳩の帰巣本能はすごいですね。確実な記録では、紀元前約3000年のエジプトからとは……驚きました。
日本では江戸時代からなんですね。こんなに古いとは思いもしませんでした。興味深いですね。
それでは今回はこの辺で。
2011年9月30日金曜日
2011年9月9日金曜日
化粧の歴史と槙谷美貴子
槙谷美貴子です!こんにちは。
今日は化粧の歴史について、調べたので、槙谷美貴子がお話させていただきます。
縄文時代の土偶や弥生時代の埴輪の顔面に赤い顔料が塗られていることから、顔に赤土を塗ることが当時の風習であり日本の化粧の始まりで、魔除けのために顔に紅殻(ベンガラ:酸化鉄)を塗る“赤化粧”が行われ、赤は悪魔の進入を防ぐ色とされていたそうですね。
その後、6世紀初頭に始まった遣隋使、遣唐使や中国や朝鮮からの渡来人などにより文字を筆頭に種々の文化、文物の伝来と共に身だしなみ、化粧品、化粧法なども伝えられて魔除けから日本の伝統化粧の始まりとなりましたのだそうです。
化粧は最初、埴輪の顔面に塗られたことから始まったんですね。口紅や頬紅で赤が多いのにも納得がいきました。
化粧の歴史、面白いです。
それでは今日はこの辺で。槙谷美貴子でした。
今日は化粧の歴史について、調べたので、槙谷美貴子がお話させていただきます。
縄文時代の土偶や弥生時代の埴輪の顔面に赤い顔料が塗られていることから、顔に赤土を塗ることが当時の風習であり日本の化粧の始まりで、魔除けのために顔に紅殻(ベンガラ:酸化鉄)を塗る“赤化粧”が行われ、赤は悪魔の進入を防ぐ色とされていたそうですね。
その後、6世紀初頭に始まった遣隋使、遣唐使や中国や朝鮮からの渡来人などにより文字を筆頭に種々の文化、文物の伝来と共に身だしなみ、化粧品、化粧法なども伝えられて魔除けから日本の伝統化粧の始まりとなりましたのだそうです。
化粧は最初、埴輪の顔面に塗られたことから始まったんですね。口紅や頬紅で赤が多いのにも納得がいきました。
化粧の歴史、面白いです。
それでは今日はこの辺で。槙谷美貴子でした。
登録:
投稿 (Atom)