2012年6月15日金曜日

メガネの歴史

こんにちは、槙谷美貴子です。
今回槙谷美貴子が調べたのはメガネの歴史です。
メガネの歴史は古く、紀元1世紀皇帝ネロの家庭教師だった小セネカが「文字がどんなに小さくて不明瞭でも、水を満たした球形のガラス器やグラスを通せば、拡大してはっきり見ることができる」と書いているそうです。
ネロ自身もエメラルドを矯正レンズ代わりにして剣闘士の戦いを観戦したと言われているんですよ。
今のような形にはなっていませんが、原理としてはあったのですね。
矯正レンズは9世紀のアッバース・イブン・フィルナスが使っていたと言われているそうで、彼は非常に透明なガラスの製造方法を考案し、そのようなガラスを半球形にして磨き、文字を拡大して見るのに用いたものを reading stone といったそうです。
凸レンズを使った拡大鏡が初めて記録されたのは、1021年にイブン・アル・ハイサムが出版した『Kitab al-Manazir』(光学の書)で、これが12世紀にラテン語に翻訳され、それに基づいて13世紀イタリアで眼鏡が発明されることになったそうですね。
見えないものを見るために、昔から工夫がされていたんですね。
槙谷美貴子がメガネについて調べました。

2012年6月11日月曜日

笛の歴史

お久しぶりです槙谷美貴子です
今回の槙谷美貴子の歴史ブログは笛の歴史のことを話します

奈良・平安時代において笛というと主に雅楽の管楽器であり、現在の龍笛(竜笛)、笙、篳篥、高麗笛、神楽笛のほか尺八、簫(しょう)なども用いられていた。このうち笙、篳篥は後に笛とは区別されるようになる。神楽笛は大和笛とも呼ばれることから、大陸から龍笛や高麗笛が伝来する以前の日本に、すでに笛が存在していたと考えられる。事実、奈良県天理市星塚一号古墳(古墳時代後期)から横笛と思しき遺物が出土している。ただし、これは奈良時代以降の横笛の形状とは異なる点も多い。源氏物語にも種々の笛が登場するが、単に笛という場合は龍笛(竜笛)を指すことが多く、そのほかは「さくはちのふえ」(尺八)、「さうのふえ」(笙)、「こまぶえ」(高麗笛)などのように限定している。物語中で笛の登場する場面は数多く、なかでも柏木の遺品となった笛が夕霧の手を介して薫の手に渡るという形で、薫の出生の秘密に関わる重要な小道具として扱われている。このように平安時代、笛は貴族の男性にとって音楽の教養の基本とされた楽器であり、村上天皇や一条天皇は笛の名手であったといわれる。また、平敦盛や源義平にまつわる笛はいずれも「青葉の笛」と呼ばれて伝えられている。

平安中期以降の田楽は鼓や鉦を中心とするものであったが、絵巻物には笛も見られる。田楽その他の芸能が発展して室町時代にその形を整えた能においても、世阿弥の頃までには囃子の中に笛が取り入れられていたようであるが、それが現在の能管と同じものかはわかっていない。ヨーロッパのフルートは 1549年に鹿児島に到着したザビエルと共に日本に入ったことがポルトガル側の資料に残っている。