2011年12月9日金曜日

槙谷美貴子とカレーライスの歴史

こんにちは。「槙谷美貴子の歴史好きのブログ」です。今回も槙谷美貴子が気になった歴史を、ここに書かせていただきますね。宜しくお願いします。
今回は、カレーライスの歴史について。詳しい沿革があったので、引用させていただきます。

1863年(文久3年)、江戸幕府の遣欧使節の三宅秀が、船中でインド人が食事する様子を見て「飯の上へ唐辛子細味に致し、芋のドロドロのような物をかけ、これを手にて掻き回して手づかみで食す。至って汚き人物の物なり」と日誌に記している。
1872年(明治5年)、北海道開拓使東京事務所でホーレス・ケプロン用の食事にライスカレー(当時の表記はタイスカリイ)が提供された。
1872年(明治5年)、カレーライスのレシピを記した本「西洋料理指南」(敬学堂主人)、「西洋料理通」(仮名垣魯文)が出版される。
1873年(明治6年)、陸軍(幼年生徒隊)食堂の昼食メニューに、ライスカレーが加えられる。
1876年(明治9年)、当時、札幌農学校の教頭として来日していたウィリアム・スミス・クラークが、「生徒は米飯を食すべからず、但しらいすかれいはこの限りにあらず」という寮規則を定める。
1877年(明治10年)、東京の洋食食堂「風月堂」が、初めて日本でライスカレーをメニューに載せる。
1903年(明治36年)、大阪の「今村弥」(現ハチ食品)が、初めて日本でカレー粉を製造販売。
1906年(明治39年)、東京・神田の「一貫堂」が、初の即席カレールウ「カレーライスのタネ」を発売。
1908年(明治41年)、帝国海軍が配布した「海軍割烹術参考書」にカレイライスのレシピが載る。
1910年(明治43年)、帝国陸軍が配布した「軍隊調理法」にカレー汁(およびライスカレー)のレシピが載る。
1924年(大正13年)、東京・神田の簡易食堂「須田町食堂」が、初めて廉価(8銭)でカレーライスをメニューに載せる。
当時の大卒初任給70円、日雇労働者日当1円63銭
1926年(大正15年)、「浦上商店」(現:ハウス食品)が、カレールウ「即席ホームカレー」を発売。翌年、商品名を「即席ハウスカレー」に変更。
1927年(昭和2年)、東京の「新宿中村屋」「資生堂パーラー」が、高級カレーライス(80銭、50銭)をメニューに載せる。
1929年(昭和4年)、大阪・梅田の「阪急百貨店」の大食堂が、廉価(25銭)でライスカレーを販売。
1930年(昭和5年)、山崎峯次郎(エスビー食品の創業者)が、「ヒドリ印カレー粉」を発売。
1931年(昭和6年)、「C&Bカレー事件」発生。イギリスのクロス・アンド・ブラックウェル (C&B) 社のカレー粉は、品質がよいとされていたが値段が高く、増量材を混ぜたり中身を国産品に詰め替えた安価な偽物が出回った。これは日英間の国際問題にまで発展し、偽造グループが逮捕された。
1941年(昭和16年) - 1945年(昭和20年)、戦争による食料統制のため、軍用以外のカレー粉製造・販売が禁止された。また、陸軍ではライスカレーのことを「辛味入汁掛飯」と言い換えるようになった。
1946年(昭和21年)、終戦によりカレー粉の製造・販売が再開された。
1949年(昭和24年)、浦上商店がカレールウ「即席ハウスカレー」の製造を再開。
1954年(昭和29年)、エスビー食品が即席カレールウ分野に進出。
1960年(昭和35年)、ハウス食品工業株式会社(旧浦上商店)がカレールウ「ハウス印度カレー」を発売。以後、インスタントカレールウの主流は固形タイプになる。
1969年(昭和44年)、大塚食品、初のレトルトカレーソース「ボンカレー」を発売。
1982年(昭和57年)、全国学校栄養士協議会が1月22日を「カレーの日」と決め、全国の小中学校で一斉に「カレー給食」を出す。以後この日が、「カレーの日」とされている。

カレーライスの歴史、面白いですね。
何だかカレーが食べたくなってきました(笑)それでは今日はこの辺で。槙谷美貴子でした。

2011年12月5日月曜日

時計の歴史と槙谷美貴子

槙谷美貴子です、こんにちは!「槙谷美貴子の歴史好きのブログ」、今日も始めさせていただきますね!宜しくお願いします!
今回は時計の歴史についてお話させていただきますね。

現在使われている六十進法の時間単位は、紀元前約2000年にシュメールで考えられたものだそうです。1日を12時間2組に分けたのは古代エジプト人で、巨大なオベリスクの影を日時計に見立てたことが起源と言われていますね。彼らはルクソール近郊にあるアメン=ラーの地でおそらく最初に使われたとされる水時計も作っているのだとか。水時計は後にエジプト以外でも用いられるようになり、古代ギリシアではこれをクレプシドラの名で呼んでいたようです。同じころ、古代中国の殷では、水があふれる仕組みを利用した水時計が発明されていたそうです。この水時計の技術はメソポタミアから紀元前2000年ごろにもたらされたものと考えられているようですね。その他、中国、日本、イギリス、イラクではロウソク時計も使われていて、インド、チベット、一部ヨーロッパでは日時計が広く使われていたそうです。他に、砂時計も使われていたようですね。初期の時計は日時計が多く、曇りや夜には使うことができなかったのだそうです。最もよく使われた日時計はグノモンと呼ばれる形のものだったそうですが、あくまで日時計なので緯度で値が変化したみたいですね。
時計に脱進機(歯車を一定方向に回す装置)を初めて用いたのは8世紀の中国で、水時計にギアとおもりを組み込んだのは11世紀のイスラム教徒だったそうです。脱進機に王冠歯車を用いたのは14世紀のヨーロッパ、16世紀にゼンマイ式の懐中時計ができ、18世紀に振り子時計ができるまで長い間使われていたのだとか。20世紀になると、クオーツ時計、さらには原子時計へと置き換わっていきますね。クォーツ時計は作るのが簡単で正確なので、腕時計によく使われています。原子時計はこれよりもはるかに正確なので、国際標準時間「国際原子時」をきめるのに使われているのだとか。原子時計は協定世界時にも使われているようですね。

時計について、面白いですね。
それでは今日はこの辺で。槙谷美貴子でした。