こんにちは、槙谷美貴子です。
「槙谷美貴子の歴史好きのブログ」更新させていただきます!
フランスパン、とっても美味しいですよね。
トースターで焼いてバターやジャムを塗って食べてもいいし。
サンドイッチにしてもオシャレ☆!
食べ応えもあって槙谷美貴子も大好きなパンの1つです^^
今回はフランスパンの歴史をご紹介してみようと思います。
元来フランスでは土壌や気候の関係から、生産される小麦はグルテンの乏しいものが主であり、他国のパンのようにふっくらとしたものを作るのが難しかったのだそうです。そのためフランスでは粘り気の少ない生地を使ってのパン作りが求められ、結果として硬い外皮とサクサクした中身を持つ独特のパンが生まれたという経緯があるのだそうです。
元々フランスパンはイースト菌のようなパン酵母を使わず、生地を一度に混ぜて直火焼きしたものであったため、焼き色は現在のようなキツネ色ではなくうす焦げたものだったのだそうです。
フランスパンが現在のような形になったのは19世紀頃。
酵母菌や製粉技術などの向上によりこの頃から今日みられる多彩なフランスパンが作られるようになったのだそうですよ^^
食べ過ぎると上あごの皮がはがれてしまう?のでちょっと痛いですが><
食べすぎは注意?ですね^^w
2012年11月8日木曜日
2012年10月11日木曜日
カメラの歴史
こんにちは、槙谷美貴子です。
「槙谷美貴子の歴史好きのブログ」更新させていただきます!
今回はカメラの歴史についてご紹介させていただこうと思います。
まず、カメラの原理は、写真術の発明以前から知られていたそうで。
窓のない暗黒の壁面に小さな穴を空けると、反対側の壁面に外の景色が移し出される。
これを応用して、日食の観察を行ったり、絵画の下絵を描く目的に使われた道具が、“カメラ・オブスキュラ”です。16世紀には、小穴の代わりにレンズを用いて、より鮮明な像が得られるようになり、反射鏡によって箱の上面に像を結ばせるようにした小型の“カメラ・オブスキュラ”が作られたそうです。これは絵画における遠近画法の確立に寄与したと言われています。
1824年にはニセフォール・ニエプスが世界初の写真である「ヘリオグラフィ」を発明し、携帯型カメラ・オブスキュラの画像が定着できるようになりました。1839年にはルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが初の実用的写真術「ダゲレオタイプ」を発表。その後のカメラは、写真とともに現在に至るまで発展していきました。
現在ですと、超小型のカメラや毛穴まで見れる様な高い画素数を誇るカメラなど、色々なカメラがありますよね。携帯電話にもカメラ機能がついてて当たり前の時代にもなりましたし。
老若男女写真を趣味にされている方も多いですね^^
槙谷美貴子も写真は撮るのも見るのも大好きです!
以上、カメラの歴史でした!
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今回はカメラの歴史についてご紹介させていただこうと思います。
まず、カメラの原理は、写真術の発明以前から知られていたそうで。
窓のない暗黒の壁面に小さな穴を空けると、反対側の壁面に外の景色が移し出される。
これを応用して、日食の観察を行ったり、絵画の下絵を描く目的に使われた道具が、“カメラ・オブスキュラ”です。16世紀には、小穴の代わりにレンズを用いて、より鮮明な像が得られるようになり、反射鏡によって箱の上面に像を結ばせるようにした小型の“カメラ・オブスキュラ”が作られたそうです。これは絵画における遠近画法の確立に寄与したと言われています。
1824年にはニセフォール・ニエプスが世界初の写真である「ヘリオグラフィ」を発明し、携帯型カメラ・オブスキュラの画像が定着できるようになりました。1839年にはルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが初の実用的写真術「ダゲレオタイプ」を発表。その後のカメラは、写真とともに現在に至るまで発展していきました。
現在ですと、超小型のカメラや毛穴まで見れる様な高い画素数を誇るカメラなど、色々なカメラがありますよね。携帯電話にもカメラ機能がついてて当たり前の時代にもなりましたし。
老若男女写真を趣味にされている方も多いですね^^
槙谷美貴子も写真は撮るのも見るのも大好きです!
以上、カメラの歴史でした!
2012年9月6日木曜日
チョコレイの話。
今日は槙谷美貴子もすきなチョコレートの歴史を調べてみましょう。
チョコレートは発酵、焙煎、粉砕を経たカカオの実から作られています。
アメリカ先住民族はカカオの粉末を磨り潰したものを入れた液体にバニラや唐辛子を混ぜて飲んでいたそうです。
槙谷美貴子は唐辛子に驚きました…
ヨーロッパの人々はここから唐辛子を外し、砂糖や牛乳を入れて甘味を加えた。その後現在の棒状のチョコレートを作る方法を編み出しました。
こっちのほうが槙谷美貴子はすきですね。
チョコレートを使用した菓子は多数あり、世界で最も人気で万人に知られた味の1つとなっています。
一方で原料のカカオの生産については、奴隷労働や児童労働が歴史的に繰り返されており、今なお深刻な問題となっているそうです。
2012年8月23日木曜日
シャープペンシルの歴史
こんにちは、槙谷美貴子です。
「槙谷美貴子の歴史好きのブログ」更新させていただきます!
今回は学生時代に大変お世話になりましたね
シャープペンシルの歴史について槙谷美貴子がご紹介させていただきます。
◆シャープペンシルの歴史
1915年、早川金属工業(現在のシャープ)の創業者である早川徳次は、本業の傍ら金属製繰出鉛筆を発明、「早川式繰出鉛筆」として特許を取得した。これ以前の繰出鉛筆はセルロイド製であり、非常に壊れやすく実用的ではなかったが、この発明により実用に耐えるものになった。初期のものは芯が太かったが、翌年1916年に芯をさらに細いものに改良し、「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」と改名した。この当時はノック式のものはまだ発明されておらず、本体の末端にあるパーツを回転させることで芯を送り出すものだった。なお、この製品は天理市のシャープ総合開発センター歴史ホールに保管されていて、プラチナ萬年筆によって限定復刻された。シャープの社名は金属製繰出鉛筆の発明が由来であり、その製品名から社名が付けられた。なお、シャープは1923年の関東大震災で工場を焼失し、家電メーカーとして再生したため現在は筆記用具を製造販売していない。特許も震災による借金返済のために売却された。 なお、シャープペンシルという呼称は、福井商店の福井庄次郎氏が輸入時に名付けたもので、早川徳次とは知り合いであった事から自分の会社の商品にも付けた事に由来する。
意外と知らない人も多いのではないでしょうか?
シャープの製品のCMなどでシャーペンを握った手のイラストが出ていたりしますが、この歴史に関係していたのです^^
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今回は学生時代に大変お世話になりましたね
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◆シャープペンシルの歴史
1915年、早川金属工業(現在のシャープ)の創業者である早川徳次は、本業の傍ら金属製繰出鉛筆を発明、「早川式繰出鉛筆」として特許を取得した。これ以前の繰出鉛筆はセルロイド製であり、非常に壊れやすく実用的ではなかったが、この発明により実用に耐えるものになった。初期のものは芯が太かったが、翌年1916年に芯をさらに細いものに改良し、「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」と改名した。この当時はノック式のものはまだ発明されておらず、本体の末端にあるパーツを回転させることで芯を送り出すものだった。なお、この製品は天理市のシャープ総合開発センター歴史ホールに保管されていて、プラチナ萬年筆によって限定復刻された。シャープの社名は金属製繰出鉛筆の発明が由来であり、その製品名から社名が付けられた。なお、シャープは1923年の関東大震災で工場を焼失し、家電メーカーとして再生したため現在は筆記用具を製造販売していない。特許も震災による借金返済のために売却された。 なお、シャープペンシルという呼称は、福井商店の福井庄次郎氏が輸入時に名付けたもので、早川徳次とは知り合いであった事から自分の会社の商品にも付けた事に由来する。
意外と知らない人も多いのではないでしょうか?
シャープの製品のCMなどでシャーペンを握った手のイラストが出ていたりしますが、この歴史に関係していたのです^^
2012年8月7日火曜日
切手の歴史
槙谷美貴子の歴史好きのブログ
こんにちは、槙谷美貴子です。
今回は槙谷美貴子が切手を紹介します。
郵便料金前納のアイデアは19世紀初頭から各国で提案されていて、1819年にはサルデーニャ(現在のイタリア北部)で実施をみていたが、現在と同じく、郵便切手を利用した制度が開始されたのは、1840年のイギリスだそうです。
この時開始された近代的郵便制度(料金の前納・重量制の導入・全国均一料金制など)によって導入された制度の一つとして、初めて郵便切手が発行されたみたいですね。
ローランド・ヒルはイギリスのおける近代郵便制度の考案者ですが、彼は切手の考案者ではありません。
イギリス国内ではジェームズ・チャルマーズがその提案者で、オーストリア(現在のスロベニア)のコシールも、同様の案を1836年に提案しているそうです。
日本で最初に発行された切手は、1871年(明治4年)4月20日に発行された竜文切手で、48文、100文、200文、500文の計4種だったみたいです。
この当時はまだ通貨改革が行われていなかったため、江戸時代の通貨による額面表示がなされていたそうです。
翌年の1872年(明治5年)には「銭」の単位に変更された竜銭切手が発行(ちなみに同切手は日本初の目打付切手である)された。なお、前者2つを併せて竜切手と呼称する。1883年(明治16年)には「円」の単位が表記された切手が発行された。
2012年7月12日木曜日
新撰組
みなさまこんにちは、槙谷美貴子です。
「槙谷美貴子の歴史好きのブログ」更新させていただきます!
本日の
「槙谷美貴子の歴史好きのブログ 」では
幕末を駆け抜けた新撰組についてお話させていただきます。
◆新撰組
新選組(しんせんぐみ)は、江戸時代末期(幕末)に、京都において反幕府勢力を取り締まる警察活動に従事したのち、旧幕府軍の一員として戊辰戦争を戦った武装組織である
なお、「選」の字は「撰」とも表記されることが多く、実際「新撰組」と表記された史料も多くある。局長の近藤勇自身、表記には両方の字を用いているそうです。
幕末の京都は政治の中心地となり、諸藩から尊王攘夷・倒幕運動の過激派志士が集まり、治安が悪化した。従来から京都の治安維持にあたっていた京都所司代と京都町奉行だけでは防ぎきれないと判断した幕府は、最高治安機関として京都守護職を新設し、会津藩主の松平容保を就任させた。その配下で活動した準軍事的組織が新選組である。同様の組織に京都見廻組があった。ただし、新選組は浪士(町人、農民身分を含む)で構成された「会津藩預かり」という非正規組織であり、京都見廻組は幕臣(旗本、御家人)で構成された正規組織であったと聞きます。
隊員数は、前身である壬生浪士組24名から発足し、新選組の最盛時には200名を超えた。任務は、京都で活動する不逞浪士や倒幕志士の捜索・捕縛、担当地域の巡察・警備、反乱の鎮圧などであった。その一方で、商家から強引に資金を提供させたり、隊の規則違反者を次々に粛清するなど凄惨な内部抗争を繰り返した話は有名ですね。
慶応3年(1867年)6月に幕臣に取り立てられ、翌年に戊辰戦争が始まると、旧幕府軍に従って戦い、敗戦に伴い散り散りになり、解散した。
明治政府が新選組と敵対していた倒幕派たちによって樹立された経緯もあり、近年まで史学的に研究されることがほとんどなく、現在における人気は明治時代からの講談や、後述する数々の小説・映画・ドラマなどフィクション作品の影響が大きい。漫画やアニメ、ゲームにもなり、老若男女から高い注目を集め、隊士の墓参りをするファンも多い。イベントも開催されているんですよ!
私の周りでは新撰組の人気は常にあるように思われます。
色んなものに流行やブームなどがあり、それは一時的な盛り上がりを見せてその後は下火になってしまいがちですが、歴史というジャンルにおいては常に歴史を愛するファンの方々がおり、衰える事のない盛り上がりを見せていますね^^
私自身歴史という物に、魅せられているのですが^^
いつか新撰組の聖地巡りをしてみたいものです。
「槙谷美貴子の歴史好きのブログ」更新させていただきます!
本日の
「槙谷美貴子の歴史好きのブログ 」では
幕末を駆け抜けた新撰組についてお話させていただきます。
◆新撰組
新選組(しんせんぐみ)は、江戸時代末期(幕末)に、京都において反幕府勢力を取り締まる警察活動に従事したのち、旧幕府軍の一員として戊辰戦争を戦った武装組織である
なお、「選」の字は「撰」とも表記されることが多く、実際「新撰組」と表記された史料も多くある。局長の近藤勇自身、表記には両方の字を用いているそうです。
幕末の京都は政治の中心地となり、諸藩から尊王攘夷・倒幕運動の過激派志士が集まり、治安が悪化した。従来から京都の治安維持にあたっていた京都所司代と京都町奉行だけでは防ぎきれないと判断した幕府は、最高治安機関として京都守護職を新設し、会津藩主の松平容保を就任させた。その配下で活動した準軍事的組織が新選組である。同様の組織に京都見廻組があった。ただし、新選組は浪士(町人、農民身分を含む)で構成された「会津藩預かり」という非正規組織であり、京都見廻組は幕臣(旗本、御家人)で構成された正規組織であったと聞きます。
隊員数は、前身である壬生浪士組24名から発足し、新選組の最盛時には200名を超えた。任務は、京都で活動する不逞浪士や倒幕志士の捜索・捕縛、担当地域の巡察・警備、反乱の鎮圧などであった。その一方で、商家から強引に資金を提供させたり、隊の規則違反者を次々に粛清するなど凄惨な内部抗争を繰り返した話は有名ですね。
慶応3年(1867年)6月に幕臣に取り立てられ、翌年に戊辰戦争が始まると、旧幕府軍に従って戦い、敗戦に伴い散り散りになり、解散した。
明治政府が新選組と敵対していた倒幕派たちによって樹立された経緯もあり、近年まで史学的に研究されることがほとんどなく、現在における人気は明治時代からの講談や、後述する数々の小説・映画・ドラマなどフィクション作品の影響が大きい。漫画やアニメ、ゲームにもなり、老若男女から高い注目を集め、隊士の墓参りをするファンも多い。イベントも開催されているんですよ!
私の周りでは新撰組の人気は常にあるように思われます。
色んなものに流行やブームなどがあり、それは一時的な盛り上がりを見せてその後は下火になってしまいがちですが、歴史というジャンルにおいては常に歴史を愛するファンの方々がおり、衰える事のない盛り上がりを見せていますね^^
私自身歴史という物に、魅せられているのですが^^
いつか新撰組の聖地巡りをしてみたいものです。
2012年6月15日金曜日
メガネの歴史
こんにちは、槙谷美貴子です。
今回槙谷美貴子が調べたのはメガネの歴史です。
メガネの歴史は古く、紀元1世紀皇帝ネロの家庭教師だった小セネカが「文字がどんなに小さくて不明瞭でも、水を満たした球形のガラス器やグラスを通せば、拡大してはっきり見ることができる」と書いているそうです。
ネロ自身もエメラルドを矯正レンズ代わりにして剣闘士の戦いを観戦したと言われているんですよ。
今のような形にはなっていませんが、原理としてはあったのですね。
矯正レンズは9世紀のアッバース・イブン・フィルナスが使っていたと言われているそうで、彼は非常に透明なガラスの製造方法を考案し、そのようなガラスを半球形にして磨き、文字を拡大して見るのに用いたものを reading stone といったそうです。
凸レンズを使った拡大鏡が初めて記録されたのは、1021年にイブン・アル・ハイサムが出版した『Kitab al-Manazir』(光学の書)で、これが12世紀にラテン語に翻訳され、それに基づいて13世紀イタリアで眼鏡が発明されることになったそうですね。
見えないものを見るために、昔から工夫がされていたんですね。
槙谷美貴子がメガネについて調べました。
今回槙谷美貴子が調べたのはメガネの歴史です。
メガネの歴史は古く、紀元1世紀皇帝ネロの家庭教師だった小セネカが「文字がどんなに小さくて不明瞭でも、水を満たした球形のガラス器やグラスを通せば、拡大してはっきり見ることができる」と書いているそうです。
ネロ自身もエメラルドを矯正レンズ代わりにして剣闘士の戦いを観戦したと言われているんですよ。
今のような形にはなっていませんが、原理としてはあったのですね。
矯正レンズは9世紀のアッバース・イブン・フィルナスが使っていたと言われているそうで、彼は非常に透明なガラスの製造方法を考案し、そのようなガラスを半球形にして磨き、文字を拡大して見るのに用いたものを reading stone といったそうです。
凸レンズを使った拡大鏡が初めて記録されたのは、1021年にイブン・アル・ハイサムが出版した『Kitab al-Manazir』(光学の書)で、これが12世紀にラテン語に翻訳され、それに基づいて13世紀イタリアで眼鏡が発明されることになったそうですね。
見えないものを見るために、昔から工夫がされていたんですね。
槙谷美貴子がメガネについて調べました。
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